リレーエッセイ

#2 “インフルエンザ”と“風邪症候群”を考察する。

神保勝一

神保勝一

神保消化器内科医院院長。1941年東京神田に生まれる。1968年日本医科大学卒業。国立がんセンターで研修の後、1973年東京都江戸川区篠崎町で開業。専攻は消化器内視鏡診断および治療、消化器集団検診。所属学会:日本内科学会、日本消化器病学会、日本消化器内視鏡学会、日本消化器がん検診学会、日本臨床寄生虫学会、日本大腸検査学会、日本外科学会他

はじめに

 実地医家のための会のホームページにリレーで何かを書くことになりました。
最近、古典を読み漁っておりまして、凄く古い書物の中に「インフルエンザ」と思われる記述を見つけました。きっかけは「酒井シヅ」著「病が語る日本史」にありました。
 今でこそ「インフルエンザ」と「風邪症候群」は別物と理解されています。しかし、古代の人々には明確な区別をつけることはもとよりその原因も分かりませんでした。今、改めて当時の人々が恐れおののいた「風邪」の記述を読んでみたいと思いました。


古典の記録

日本三代實録
清和天皇 貞観五年(863年)三月四日
―今春咳喇流行。人多疫死。
・・・この春酷い咳をする病がはやり、多くの人々がその病で死にました。
   これは「風邪症候群」すなわち「急性鼻炎」「急性咽頭炎」「急性扁桃腺炎」
   「気管・気管支炎」の中の「急性気管支炎」に相当するのではないかと思われます。
清和天皇 貞観十四年(872年)一月
―天皇不受朝賀以大皇太后崩。 六日渤海の使者を正六位上行少内記菅原朝臣道眞と従六位下行直講美努連清名の両名が歓待する。七日天皇不御紫宸殿。以停節会。と言った按配に各種の行事は行われませんでした。ところが、二十日辛夘、是月、京邑咳逆病発。死亡者衆。人間言、渤海客来。異土毒気之令然焉。
・・・京に咳逆(がいぎゃく)が発病し、死者が大勢出ました。(衆・・夥しい)  又この原因は渤海からの客が異国の毒気を持ってきたからだと人々が言いました。
   明らかに伝染病と考えられます。これが「インフルエンザ」だとする確証はありませんが、「インフルエンザ」みたいな呼吸器疾患が蔓延し夥しい死者を出したことは間違いありません。

 風邪症候群でも恐ろしかった時代に「インフルエンザ」の先祖が渤海から持ち込まれたとしたら当時の人々には為す術がなかったでしょう。


インフルエンザの歴史

インフルエンザと人間の関わりは意外に古く、古代エジプト時代(紀元前)に既にこの感染症が記録に残っています。インフルエンザと確認する方法は突然の高熱、流行の早さなどのこの疾患が持つ病気の特徴の記録としています。
ヒポクラテスの記録「流行病」(紀元前5世紀頃)の記載の中にインフルエンザではないかと考えられるものが見られます。
日本の場合は清和天皇、貞観年間に記録があります。
ヨーロッパでは1173年から1174年にかけてインフルエンザと思われる症状の記録が残っています。


世界的大流行(パンデミック)の歴史

1918-1919年 スペインかぜ(H1N1)  2,000万から4,000万人死亡
1957年    アジアかぜ(H2N2) 日本では100万人が感染、約7,700人死亡
1968年    香港かぜ(H3N2) 日本では約14万人が感染、約2,000人死亡
1977年    ソ連かぜ(H1N1)


インフルエンザウィルスの種類

 A型、B型、C型があります。

A型、B型は毎年冬季(まれに春期)に流行し、多くの場合ヒトのインフルエンザの原因となる。
A型は特に内部での変異型が多く世界的大流行を起こしやすい。ウィルスに対する免疫の持続も短い。A型インフルエンザのなかではヒトに感染するものは少なく、水鳥など野生生物を宿主とする。
B型はA型と比べて流行の規模は小さいが世界的・地域的な流行を繰り返す。
C型は季節に依らず4歳以下の小児に感染する。臨床症状は現れないことも多く、病態的にA型、B型との違いが大きいためC型インフルエンザとして別の疾患としてあつかわれることが多い。免疫は長期間に亘って持続し、一度罹患すると一生持続することが多い。
人のみを宿主とする。


インフルエンザの予防と治療

 予防注射は流行する前にしておくのがお勧めです。治療には、タミフル、リレンザなど抗ウィルス剤などの有効な治療薬があります。また、吸入剤、経口薬、点滴、小児用のドライシロップなどの方法があります。症状が悪化しない早期の治療がより有効です。